優しい嘘吐き達のはなし
- 雪山ゆき
- 2019年1月5日
- 読了時間: 4分
禾本 陽 (なぎもと ひなた) 若い男性。成人済み。
樫本 京 (かしもと きょう) 若い女性。成人済み。
陽 俺が目が覚めたときは、何もなかった。何もなかったと言っても、
真っ白な天井が視界にうつったので、そういう意味では、何もなかったわけではない。
記憶が、何もなかったんだ。
京 目が、覚めてしまったんだね。
陽 ・・・・・・君は、ええと、いや、僕は、誰だ。
京 樫本 京。あなたは、禾本 陽。なんていうか、よろしく、なのかな。
陽 よろしく、樫本さん。
京 京、でいいよ、私たちの仲じゃない。いや、それも、もう関係ないのか。
陽 僕たちの仲・・・?どういう関係だったんだ?
京 恋人だけど。
陽 そうか、すまない。
京 何が?
陽 俺は、恋人のことさえ覚えていないのか・・・。最低だな。
京 しょうがないよ、忘れてるだろうから教えるけど、陽は爆発事故に
巻き込まれちゃったんだから。
陽 爆発事故?
京 とりあえず、少しずつ、思い出していけばいいと思う。
検査とかがあると思うけど、退院したら、帰ろう。
陽 帰る?
京 帰るんだよ、私たちの家に。
陽 つまり、俺が目が覚めたのは病院の一室だった。
体に異常がないか病院で調べたが、記憶がないこと以外は何もなかったので、
通院し、様子を見ることになった。
とりあえず俺は、田舎にある、かつて住んでいたらしい家に帰ることになった。
京 陽、急いで思い出す必要はないよ。少しずつで良いと思う。無理はしないで。
陽 京は俺にやさしかった。恋人だから当然かもしれないが、
記憶がないという不安も、彼女のおかげで和らいだ。
彼女のことを早く思い出したい、そう思った。
京 私、そこのカフェで働いているの。陽、悪いけど、家でお留守番しててくれる?
晩には帰って来るから、良い子にしててね。
陽 良い子にって・・・こどもじゃあるまいし。
京 ふふっ。じゃあ、いってきます。
陽 いってらっしゃい。
京 ただいまー。
陽 おかえりなさい。
京 ん?どうしたの、陽?
陽 京、あの、ちょっと、目をつむってくれないかな。
京 ん?うん。
陽 ・・・。
京 !?なっ・・・なっ!?
陽 どうしたんだ。
京 な、な、な・・・
陽 恋人なんだから、おでこにキスくらい、いいじゃないか。
口にしようかと思ったんだけど、それはちょっと照れるかと思って。
京 て、照れは、しない、けど、けど、
陽 京、あのさ、
京 もう・・・な、何?
陽 記憶がなくて申し訳ないけど、結婚してくれないか。
京 なっ!?な、な、な!?
陽 こんな不甲斐ない男で悪い。だが、これから、君との思い出を新しく作りたい。
思い出せなくても、君を幸せにしたい。・・・だめか。
京 な、な、急すぎない!?そんなこと言われても、私、私・・・!
陽 だめか。
京 いや、あの、え、はい。あの・・・あの・・・
陽 そうか。
京 おねがい、します。
陽 ・・・ありがとう。
京 ほんとにっ、もう、なんだか、もうっ!
陽 京?
京 な、なに?
陽 手を出して。
京 え、あ、うん。
陽 手を繋いでも?
京 いいよ、もちろん。
陽 なあ、京、言いたいことがあるんだ。
京 なに?
陽 俺たち、恋人じゃなかったんだろう?
京 !?
陽 俺たちは、恋人なんかじゃなかった。俺が記憶を失ったことは本当だろう。
だが、それを良いことに、君は、俺の恋人として現れた。そうだろう?
京 な、なんで、そんな・・・そんな・・・。
わ、分かってたの!?いつから!?
陽 すぐわかった。でもな、京、俺は、俺はな、君が好きだ。
前の俺はどうだったか分からない。でも、今の俺は君が好きだ。
思い出しても君といたいんだ。俺は、前の俺なんてどうでもいい。
もし、すべてを思い出して、前の俺になってしまっても、
君といたい。だから、結婚してくれ。いつまでも、一緒にいてくれ。
京 ・・・後悔、する・・・あなたはきっと後悔する。
陽 そうかな、分からない。でも、それでも、俺と一緒に生きてくれないか。
陽 京は黙って頷いた。
俺は嘘をついた。
記憶なんて、京が帰って来る頃には戻っていた。
京は、俺の大学の後輩で、それだけだった。
それだけだったのに、京は俺が好きだったらしい。
俺はちっとも気づいていなかった。そしてそのまま卒業した。
それでも俺は、前から京が好きだった。
いつも京を目で追っていた。
だから、これは、良いきっかけだったのだろう。
俺は記憶を戻さない。戻らないふりをして、新しい俺として、
彼女と生きていく。
もう、前の俺は必要ない。必要なのは、京、彼女だけだ。
彼女も俺も、大した嘘つきだった。
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